少年野球の卒団式のお話
歳をとると涙もろくなります
今回はプライベートな投稿です。
昨日は息子の少年野球の卒団式でして。
下級生の保護者のみなさんが、あの手、この手で涙を誘う演出。
うるうるきちゃいましたね。
もう年々、涙もろくなってきていてホントに困ります。
新型コロナウイルスでマスク着用の義務とか面倒くさいなぁと思っていたのですが、このときばかりは涙が隠せてよかったと思いました。
そんなわけで息子の少年野球生活を振り返ります。
小学1年の秋、入団
私は一切、野球の経験はなく学校の中庭でやったホウキバットのなんちゃって野球がせいぜいでしたが、
先に入団していた保育園からの幼馴染の影響で息子の野球スイッチに火が点いたのが小学1年の秋。
忘れもしない11月2日に地元小学校を拠点とする野球部の門をくぐりました。
くぐったのは息子ですが。
ピカピカの1年生
小学2年でレギュラー
入部から1年後の小学2年の秋、新人大会でセンターで先発。
これだけ聞くとすごい!と思うかもしれませんが、単なる人手不足。
実はルールもあんまりわかってません。
初打席、初ヒット
小学3年、チーム存続の危機
新人大会は6年生は出れません。エントリーは5年生以下の選手のみです。
チームは全部で12人。そのうち出場資格のあるメンバーはたったの5人。
これじゃあ。試合に出れません。
入団体験会を盛大にやりました。
40名弱の参加者を集めてなんとか6人の仲間をゲット。
ギリギリセーフで新人戦への出場資格を得ることができました。
結果はもちろん初戦敗退。
小学4年、背番号1
エースは他にもいたのですが、その子はキャプテン。
少年野球のルールでキャプテンは背番号10をつけることが決まっていたので
わが息子、小学2年生からピッチング練習をしていたこともあり、ありがたい背番号1をもらいます。
幻の県大会
息子が4年生のときの新人戦では対戦カードが良かったのか市の予選でベスト4に残り県大会の出場資格を得ます。
しかし相次ぐ台風で学校の運動会とバッティング、県大会には出場できませんでした。
小学5年
そこそこの強さになったものの、市内の中の中くらいのラインを行ったりきたりしているチームでした。
でも募集活動だけは必死にやりました。
野球部に入らなくても月に一回だけ野球練習ができるツキイチ野球部なんて企画もやったり。
その成果もありこの年の終わりには、チームメイトは20人を超え、紅白戦ができるくらいになりました。
卒団式の時点で24名、市内でも2番目に人数の多いチームに!
新型コロナウイルス!最悪の6年生スタート
なんと予想だにしないことが起こりました。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で4ヶ月の練習・試合の自粛です。
これは大ダメージでした。
最後の最後で大会は半分に減り、選手のモチベーションも下がり気味。
父兄の団員募集チームも身動きのとれない状況。ツキイチ野球部ももちろん無し。
駆け足の夏、怒涛の試合ラッシュ
とりあえず試合はできるようになったものの大会ラッシュでトーナメントのスケジュールも大忙し。
何とか市内の大会(3つほどあったトーナメントの1つ)で3位入賞を勝ち取ることができました。
息子も多くの試合で先発投手。
本塁打も2つと活躍できました。
最優秀選手までもらうことができました。
卒団、強かろうが弱かろうが
チームが強かろうが、弱かろうが、勝とうが、負けようが、関係ないんです。
親の目線で見たわが子の少年スポーツはロールプレイングゲームをやっているのと一緒。
ちっぽけな装備で冒険にでた勇者が、こん棒を鋼の剣に替え、ぬのの服を鋼のよろいに替えて、より強い敵に挑む。
でも、まだまだラスボスは遠い。なんてね。
親バカなのかバカ親なのか。
楽しんだのはむしろ親のほう?
とにかく親も楽しい少年野球でした。ありがとうございました。
楽しい5年半でした。
では。